月村了衛『脱北航路』レビュー2
『脱北航路』をやっと読み終えました。
あり得るかも知れない
建国の父金日成総書記は「人民が米のご飯に肉のスープを食べ、絹の服に瓦の家に住めるようにする」と言ったそうですが、建国以来80年近くが経つ今も達成できていません。
それどころか、金正日の時代には800万人の餓死者を出しています。現在は、数年前の記録的な洪水による田畑の荒廃、ここ3年間のコロナ禍による人の移動と輸出入の停止、そして国連の経済制裁のためともかく物がない状態です。
この状態の中で、誰を守るためなのかミサイルと核開発だけは、着実に邁進しています。国民の生活は想像を絶するに余りある、というか想像もしたくない状況に違いありません。
そして、主人公の一人一人が抱える悲劇が随所で語られます。潜水艦勤務を忠誠心を持ってこなして家に帰ったら、家族全員が餓死してたとか。上官たちの不正のために貧困に、喘ぐ農民たちが抗議したら処刑するように命令されたとか。核開発のために徴募された優秀な弟が、防護服も与えられず被曝して亡くなったのに、それすら知らされず遺体も帰って来なかったとか。
主人公たちの脱北行に至る歴史的な背景と幾多のエピソードが、小説とは言え絵空事には思えないリアリティーを与えています。
潜水艦戦
コケにされた軍部は、持てる兵器を総増員して追跡にかかります。接触、即撃沈です。捕獲はあり得ない。逃げる側も、旧式の潜水艦とは言えこれまでの猛訓練で得た知識と経験を武器に反撃に出ます。
どこから仕入れたのか、北朝鮮の兵器と特性が飛び交います。一つの判断ミスが即撃沈に繋がる、行き詰まる描写が秀逸です。
昔から潜水艦映画にハズレなし、と言われてきました。元々が密室ですし、戦闘状態に入ればソナーの音だけを頼りに想像力を極限まで働かせて秒単位で判断しなければならない。そんな特殊な状況が、観客を容易に当事者として引き摺り込み、傍観者にはしてくれないからだと思います。
映画だけではなく、心をわしづかみにされた小説やコミックの秀作があります。
池上 司『雷撃深度 一九 五』
『ミッドウェーの刺客』
『無音潜航』
コミック『沈黙の艦隊』
映 画 『Uボート』
『ハンターキラー』
救助を拒む日本
最後の戦いに勝利したものの、傷ついて沈没寸前の状態で日本の領海に逃れた潜水艦を、「日本軍」海上自衛隊、海上保安庁が待ち受けています。とは言っても、救助するためではなく、遠巻きにして「状況把握」するためだけに。
それだけではなく、救助しようとする漁船を妨害までします。この辺がすごくリアルですね。
つまり、政府上層部が何も決定できない。目的はただひとつ。拉致被害者の救助しかないはずなのに。
これは小説ですが、現実でもこのように動くと思います。何年か前の中国「漁船」の体当たり事件の時の政府対応を見ていても。日本は、逆独裁国家なんですね。
私が知る限り、潜水艦戦で北朝鮮が登場したのは今回が初めてだと思います。そして拉致被害者を含め、この小説はより大きなストーリーの一部だと感じています。
今回は第1ラウンド。図式は、北朝鮮 × 北朝鮮から今度は政府、自衛隊 × 北朝鮮と移っていくはずです。亡命した十数名もの亡命者を、北朝鮮は黙って見ているはずはないからです。続編を期待します。
ちなみに、別の小説で陸上自衛隊の特殊作戦群が拉致被害者の救助に行かせてくれ、居場所も全部把握しているからと具申する場面があります。政府の対応は....