幕弁ブログ

私は電車で旅をするのが好きで、駅弁はその好きなもののひとつです。その中でも、いろいろな味が少しずつ楽しめる、幕内弁当が一番好きです。そんな幕弁のようなブログを見ていただきたいと思っています。

安生 正『ゼロの迎撃』レビュー

 

 

日本は他の国に比べて治安がいいと言われていますが、このゼロの迎撃 を読むと、それはあくまで結果論でしかないと強く実感します。

 

平時レベルでは、警察の交番や個別訪問などのきめ細かい制度に見るべきものがあると思いますが、非常時レベルになるとこの国ほんまに大丈夫かいな、と周りを見回して不安になるのです。


最近、自衛隊の評価が東日本大震災を契機に上がり、というよりおおっぴらに肯定できるようになりました。それに加えて、国産の武器も、戦闘機「神心」やヘリ空母「いずも」(最近では戦闘機の離発着も可能になりました)など目を引くものも出てきました。軍事評論家などもこれで日本の守りは鉄壁だ、みたいな風潮が増えてきました。


ですが、子供の喧嘩ですら、強い相手に真正面からぶつかっていく奴はいません。あの国や、またあの国や、はたまた敵か味方かさっぱり分からんあの国が、悪知恵だけはあるこれらの国々が、明らかに武器で勝る日本に対して真正面から来るでしょうか?

 

日本は太平洋戦争中も今でさえ、ハード偏重であるような気がします。戦争に備えると言えば、武器を備えると同義と思っています。でも周辺国は、最も得意技は仮想敵国への「浸透」です。軍人、一般人そして日本人を問わず。そして「浸透」が「侵略」に変質する境界線は、決して目では見えません。


北ナントカという国との戦争をシュミレートした小説は結構ありますが、そのほとんどは、日本国民あるいは在日と言われる人になりすました北ナントカ国特殊部隊が突然蜂起するというパターンです。ゼロの迎撃も基本的にそうです。蜂起しない限りは、日本国民と区別するのは難しいのです。


そして、最も背筋が寒くなるのは、彼らが捨てるものが何もない、ということです。自分の命ですら、彼の国では塵芥のようなものに過ぎません。こういう、知恵のある獣と戦闘をすればどうなるか、というリアリズムを「ゼロの迎撃 」は描いています。


専守防衛を謳う日本は、外に向けて針鼠のように武装していますが、仮想敵国との戦端は間違いなく日本国内で開かれるでしょう。なぜなら、日本の制度上それが可能だから。そして、安上がりだから。その戦争の模様を政府や国防省は教えてくれません。小説だけが、その戦慄すべき姿を見せてくれるのです。

 

読んだのはかなり前ですが、最も記憶に残っているシーンは、日本「軍」の最精鋭である陸自特殊作戦群が乗ったヘリが、敵の放った安価なスティンガーミサイルで全滅した場面でした。何じゃそりゃ。

 

最近のサイバー戦争を含めて、平時と戦時の境界線はますます曖昧になって来ています。「ゼロの迎撃」を読んで、自分たちは何ができるのか、何をすべきなのかを強く感じました。