広島お好み焼き
広島大学で仕事をした帰りに、JR広島駅の2階のお好み屋村で食べました。
5,6年前、やはり広島大学脇の住宅街にあったお好み屋に、大学の人に連れてもらって食べたのが最初でした。サンダル履きの白衣を着た若い先生が、暖簾を片手でちょいと上げて「おやじ、いつもの。」と言ってまた戻っていきました。いかにも常連さんといった雰囲気で、おかしかったです。
どっさりのキャベツの千切りが詰まった、大盛りのお好み焼きだったにも拘らず、食べたあとも全然腹がもたれなかったのが印象的でした。
今日のお好み焼きは、ソバと生イカをトッピングしました。まだ夕方の6時半と、そう腹が減っていなかったにも拘らずピリ辛のソースと熱々のソバのせいで、どんどん食が進みました。そして、食べた後も、さっぱりとした後味でした。
この辺が、大阪のお好み焼きとのちがいだな、と思いました。私は、広島のお好み焼きが好みかな。
経団連、定住化移民受け入れの提言(2015年)
2015年に他所で書いた記事です。本質は、まったく変わっていないように感じます。
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日本経団連は、少子高齢化に伴う人口減少対策として、定住移民の受け入れを提言しました。労働力不足や内需の縮小などが、日本の経済社会を不安定にする恐れがあると判断して、従来の「期間を限定した外国人労働者の受け入れ」という方針を転換すると発表しました。
しかし、どうもピンと来ません。
日本は、国内にいる若年の新規採用者や中高年の中途採用者を完全雇用しても、まだ労働力が不足している、という訳では決してないですよね。確かに、労働意欲や勤労意欲のない若い人もいるでしょうが、意欲があってもフリーターやニートにしかなれない人もたくさんいるようです。
今年私の息子も専門学校を卒業して運よく就職できましたが、卒業年度にたまたま不況にぶつかって就職できなかった子達は、自分は何の落ち度もないのに、翌年度以降も採用対象から
洩れる確立が高いと聞きました。
中高年に至っては勤労意欲どころか、そんなものがなくったってローン返済や子供の教育費のために「24時間戦えます」でいるにも拘らず、意に反して会社自体が倒産されたり、自身がリストラされたりします。
経団連の上層や自民党の中川秀直(翌2016年旭日大綬章を受章)さんを中心とする人たちは、この人たちと(現時点で海のものとも山のものとも判っていない)比べて、移民対象となる人たちの何がまさっていると考えているのでしょうか。給料が安くて済む、ただその一点だけを見ているのではないでしょうか。
確かに、いくら人が余っているといると言っても、全ての人に適性がある訳ではなく、全ての人が適職につけるという訳でもないでしょう。ですが、1000万人も育った土壌の違う人間を移民させようというのですから、労働の絶対数が足りないと考えているとしか思わざるを得ません。つまり、経団連も自民党も、深く考えているわけではなく、要するに、どんぶり勘定をしているだけなのです。つまり、これくらい余分に入れとけば、どれか適性を持った人間がいるだろうと。
冗談ですが、中国に受けのいい中川秀直さんは、更にいい顔をしようとして、1000万人移民をぶち上げたのではないでしょうか。1000万の内訳は、人口比率からして、当然8, 900万人は中国人です。
これは冗談ではありませんが、以前横浜の相鉄沿線のある街に出張に言った時、タクシーの運転手から聞いた話です。相鉄線は、昔住んでた時も南米人の乗客をよく見かけましたが、最近では、東南アジア人や当然中国人も増えているそうです。そして、ごみ処理や公益の件で町内や区内で寄り合いを持つと、東南アジアや南米の人たちはほぼ出席するが中国人はまず出席することはないと。
そして、中華街やチャイナタウンに観られるように、中国人は歴史的な背景もあるのでしょうが、一定以上の数になると固まります。そしてそこがあたかも中国の飛び地のようになるでしょう。それが、8, 900万人もいれば想像を絶する状態になるのではないでしょうか。そういえば、つい最近も華僑を中心に六本木に中華街を作る提案がなされましたね。
それは単なる想像ではなくて、第2次大戦以降トルコ人(クルド人を含む)などを単純労働用として受け入れたドイツにおいては、ずっと以前から現実の悩みになっています。国内における文化、経済的な均質性が破られ、社会全体を不安定にするのです。
これが第一の問題だと思いますが、第二に1000万人の移民とは言ってもそれは労働力としての数だけで、家族などは含まれていません。単純に考えて、1家族4人だとすると4000万人という途方もない数に数になります。2050年に8000万人近くまで人口が減少する中で4000万人というと、人口の半分が外国人(正確には定住するから外国人種というべきでしょうが)となります。
そのためのインフラの整備や起こりうる文化的な摩擦に対する精神的な負担は、私たち一般人が負うことになります。果たして耐えられるのでしょうか。
第3に、定住した人たちもいずれは高齢化します。その時、今と同じような高齢者医療や福祉の問題が立ちはだかってくるのです。
経団連は、労働力のみしか眼中にないのでしょうが、それ以外のトラブルは全て日本人全体に被せてしまおうと考えているのではないでしょうか。
安生 正『ゼロの迎撃』レビュー
日本は他の国に比べて治安がいいと言われていますが、このゼロの迎撃 を読むと、それはあくまで結果論でしかないと強く実感します。
平時レベルでは、警察の交番や個別訪問などのきめ細かい制度に見るべきものがあると思いますが、非常時レベルになるとこの国ほんまに大丈夫かいな、と周りを見回して不安になるのです。
最近、自衛隊の評価が東日本大震災を契機に上がり、というよりおおっぴらに肯定できるようになりました。それに加えて、国産の武器も、戦闘機「神心」やヘリ空母「いずも」(最近では戦闘機の離発着も可能になりました)など目を引くものも出てきました。軍事評論家などもこれで日本の守りは鉄壁だ、みたいな風潮が増えてきました。
ですが、子供の喧嘩ですら、強い相手に真正面からぶつかっていく奴はいません。あの国や、またあの国や、はたまた敵か味方かさっぱり分からんあの国が、悪知恵だけはあるこれらの国々が、明らかに武器で勝る日本に対して真正面から来るでしょうか?
日本は太平洋戦争中も今でさえ、ハード偏重であるような気がします。戦争に備えると言えば、武器を備えると同義と思っています。でも周辺国は、最も得意技は仮想敵国への「浸透」です。軍人、一般人そして日本人を問わず。そして「浸透」が「侵略」に変質する境界線は、決して目では見えません。
北ナントカという国との戦争をシュミレートした小説は結構ありますが、そのほとんどは、日本国民あるいは在日と言われる人になりすました北ナントカ国特殊部隊が突然蜂起するというパターンです。ゼロの迎撃も基本的にそうです。蜂起しない限りは、日本国民と区別するのは難しいのです。
そして、最も背筋が寒くなるのは、彼らが捨てるものが何もない、ということです。自分の命ですら、彼の国では塵芥のようなものに過ぎません。こういう、知恵のある獣と戦闘をすればどうなるか、というリアリズムを「ゼロの迎撃 」は描いています。
専守防衛を謳う日本は、外に向けて針鼠のように武装していますが、仮想敵国との戦端は間違いなく日本国内で開かれるでしょう。なぜなら、日本の制度上それが可能だから。そして、安上がりだから。その戦争の模様を政府や国防省は教えてくれません。小説だけが、その戦慄すべき姿を見せてくれるのです。
読んだのはかなり前ですが、最も記憶に残っているシーンは、日本「軍」の最精鋭である陸自特殊作戦群が乗ったヘリが、敵の放った安価なスティンガーミサイルで全滅した場面でした。何じゃそりゃ。
最近のサイバー戦争を含めて、平時と戦時の境界線はますます曖昧になって来ています。「ゼロの迎撃」を読んで、自分たちは何ができるのか、何をすべきなのかを強く感じました。
笠の秋祭り
コロナで1年間(2年だっけな?)中断していた八嶋神社の秋祭りが、再開しました。⛩️
今年は子供会のお母さんたちも気合が入っていて、小さいながらもみたらし団子や輪投げ、金魚(実際は赤い球)すくいのコーナーを出してました。自警団の若い衆たちは、あてもんコーナーを出してました。かなり多くの子供達(と親)が集まってくれました。
私の小さい頃は、夜店がカーバイトランプを灯していてそれがすごく幻想的で特有の匂いが今も記憶にあります。さながら、ランプに集まる蛾のようでした。
小学生の女子は何人かが着物(浴衣?)姿で、雰囲気を醸してくれていました。
今日は秋晴れの絶好の祭り日和で、日中はかなり暑かったですが夕方になるに従って気温も若干ですが下がってきました。青い空と境内の大きな木の緑がコントラストをなして、涼しげで爽やかな雰囲気が気持ちよかったです。
神事は黄昏時からで、可愛らしい巫女さんがお祓いをして始まりました。
夕焼けの下の神社は、結構いい雰囲気です。欲を言えば、この頃からランプを灯して夜店をやってくれると、子供達には忘れられない記憶になり(我々がそうだったように)未来の祭りの担い手となって続いて行くのにな、と思いました。
本殿の鳥居には、ちらほらお参りの家族連れが来て巫女さんのお祓いの舞を受けていました。
提灯の灯りが郷愁を誘う頃、秋祭りが終わりました。
RDE(Ruby 開発環境)使用時の注意点
RubyをGUI環境で開発できるフリーソフト、「RDE」を使用する上で気が付いた点を2点記します。
①RDEの日本語入出力
インストール直後のデフォルトの状態では、ソース中の日本語は文字化けします。 また、日本語入力したものも文字化けします。
これを避けるには、メニューから[Tool]-[Editor Property]-[Font]-[文字セット]を【日本語】に変更します。逆に、ここが【欧文】のままだと、フォントが日本語フォントに設定されていても無効のままです。
②RDEのソース上で、「print xxxxxx」又は「puts xxxxxx」の後で「gets」を記述すると、コンソール・エリアに xxxxxx が表示されず、何か入力した時点で表示されます。つまり解答をした後で質問がなされるのと同じことが起こります。
これを防ぐには、「print xxxxxx」又は「puts xxxxxx」を記述した直後にコンソールにフラッシュする「STDOUT.flush」を記述します。そうすると、質問 ⇒ 解答の順番に表示されます。
Rubyの基本的な文法のまとめ
Rubyの文法をまとめまてみました。公開するまでもないですが、
単なる備忘録です。
a)数字←→文字変換
gets.to_i
gets.to_s
b)繰り返し
for i in 1..n
処理
end
until 変数 == 乗数
条件
end
c)分岐
case
when 式
処理
when 式
処理
end
d)関数
使用する前に定義する
def 関数名 引数
処理
end
e)テキストの最後にある余計な制御文字を取り除く
変数 = gets
変数.chomp (チャンプ)
f)文字結合
"AAAA" + 変数 + "BBBB"
"AAA¥" " + 変数 + " ¥"BBB"
g)クラス
class クラス名
def メソッド名 引数
処理
end
end
class クラス名
def initialize 引数 #コンストラクタ
処理
end
def メソッド名
処理
end
end
・クラスのインスタンス化
クラス.new
使い方は、クラス.メソッド 引数
・インスタンス変数
接頭語に@をつけたものが、インスタンス変数
一旦値をセットするとそのインスタンスがある限り、
ずっとその値を保持し続けるので、定数のような面もある
・アクセサ
インスタンス変数を得る
def namae
return @namae
end
インスタンス変数を変更する
def namae=(s)
@namae = s
end
・これらを一つにして
attr_accessor :name
とすることもでき、記述が簡単になる。ただし、条件のない
単純なインスタンス変数の場合のみ
h)サブクラス
class スーパークラス名
def メソッド名 引数
処理
end
end
class サブクラス名 < スーパークラス
def initialize 引数1,引数2,引数3
スーパークラス 引数1,引数2,引数3
end
def メソッド名
処理
end
end
スーパークラスがサブクラスよりも前に定義される
i)配列の操作
arr = ["ラーメン","餃子","炒飯","焼きソバ"]
puts arr[ num ] + "です!"
配列の最後に値を追加 arr.push 変数
配列の最後の値を取得 arr.pop
配列の最初に値を追加 arr.unshift 変数
配列の最初の値を取得 arr.shift
配列の指定した番号に値を追加 arr.insert 番号 変数
配列の指定した番号の値を取得 arr.shift
配列のソート arr.sort
並び順を逆に arr.reverse
特定の値を削除 arr.delete 値 値と同じ要素を持つ配列を全て削除する
arr.delete_st 番号
配列要素の取出し
arr.each do |変数|
print 変数
処理
end
j)ハッシュ(連想配列)
各要素をキー+値で管理
・ハッシュの作成
変数 = {キー1 => 値1, キー2 => 値2, ...}
変数 = Hash[キー1, 値1, キー2, 値2, ...]
・ハッシュの取出し、設定
変数 = ハッシュ[キー]
ハッシュ[キー] = 変数
ハッシュ.store キー,値
ハッシュ.each do |キー変数,値変数|
潜水艦映画の傑作『Das Boot』レビュー
『Das Boot』(ダス・ボート。ドイツ語の'Uボート')は、1981年私が26歳の時に封切られました。西ドイツが制作した生粋のドイツ映画で、当時、『Das Boot』はドイツ史上最も製作費のかかった映画のひとつでした。そのほとんどはセットに費やされました。
特に注目すべきはUボート内部のセットで、本物の潜水艦の装備をすべて再現し、波、潜水、爆雷をシミュレートする動きを与えることができるジンバルに取り付けられるよう慎重に作られました。
セットは、水が押し寄せたり、火災が発生したりするように設計されていました。カメラマンは非常に限られたスペースでの作業を強いられ、ジャイロスタビライズされた特殊なカメラで俳優を撮影しながらセット内をダッシュしていました。
あれから40年以上が経ちますが、映画を見た時の衝撃は少しも色褪せていません。急速潜航するために、乗組員全員が船首に向かって狭い通路を猛ダッシュするとか、海上の敵駆逐艦から放たれたソナーが船殻を思いっきり叩く音、沈潜している潜水艦の真上を駆逐艦が通過する時のシュッシュッシュというスクリュー音、限界潜航深度の150メートルを超えて潜航する時の船殻が悲鳴を上げるように軋む音、ボルトが次々に弾け飛ぶ音。
音だけの世界で、音を通じて初めて知った事ばかりでした。そして極め付けは、限界潜航深度の潜水艦の至近距離で爆発する敵爆雷の恐怖です。まさに、死が数メートル先で叫びまくってる、という感じしかありませんでした。
よくできたセットと効果音で、実際の戦闘というよりも戦争の現場に突然放り込まれたように感じました。3DもVRもない時代でしたが、その臨場感はそれまでに見たどの戦争映画よりも半端なかったです。敢えて『Das Boot』に匹敵するリアリティと臨場感を持った映画を上げるなら、スティーブン・スピルバーグの『プライベート・ライアン』くらいでしょうか。
戦闘中の潜水艦内は、文字通り鉄製の棺桶だと感じました。恐怖と絶望の色しか目に入りません。観客に傍観者でいることを許さない、リアリティと臨場感はまさに圧倒的です。こんなところから生きて帰れる筈がない。戦場における恐怖と絶望がどんなものなのか、悲鳴と共に、初めて知った思いです。
映画の中の主な登場人物以外の乗員の若者は、俳優ではない一般オーディションで選ばれたそうです。勿論、戦争もUボートも知りません。彼ら自身が、彼らの祖父や父が経験した悲惨さを追体験した筈です。
映画冒頭の「4万人がUボートで出撃し、うち3万人が還らなかった。」というナレーションの後に、深海の暗闇の中からUボートが姿を現すシーンは、冥界から現れたようでした。
まさにこの映画は、Uボートで出撃し還らなかった人たちへの鎮魂の作品だと感じました。