幕弁ブログ

私は電車で旅をするのが好きで、駅弁はその好きなもののひとつです。その中でも、いろいろな味が少しずつ楽しめる、幕内弁当が一番好きです。そんな幕弁のようなブログを見ていただきたいと思っています。

ロハスフェスタと太陽の塔

ロハスフェスタ2023

千里中央から大阪モノレール万博公園に向かう途中で、久しぶりに大阪万博公園の『太陽の塔』を見ました。

 

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万博公園ではロハスフェスタ2023が開催しており、娘が出店していたので妻と見に行きました。

 

ロハスフェスタ2023は400余りのブースがある大規模なもので、フリーマーケットとは違い、全て自分たちの手作りの作品が出展されています。

 

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ハンドクラフト好きの妻は、目の色を変えて好きな小物を探して走り回っていました。

 

大阪万国博覧会 1970

大阪万博の時は、私は中学2年生でした。アメリカ館などの人気パビリオンは結局入れなかったのですが、奈良の山深い田舎者の私は、現在の東京ディズニーランドのように、いるだけでワクワクしていたのを思い出します。

 

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そしてあれから53年経った今でも、鮮明に思い出されるのがシンボルタワーである『太陽の塔』と、その内部の「生命の樹」す。

 

でも、考えてみれば非常に妙な話で、万博自体はテーマが確か『人類の進歩と調和』で、その実科学技術礼賛が本音だったのは、当時中学生だった私にも判る事でした。

 

太陽の塔

ですが、そのシンボルを体現してる筈の『太陽の塔』のどこが、『人類』で『進歩』で『調和』なんでしょうか。どこが「科学技術」で「礼賛」だったんでしょうか。

 

実は、万博構想の当初には、シンボルタワーも太陽の塔もなくて、始まる前に急遽浮かび上がった構想でした。


万博のサブプロデューサーだったSF作家の小松左京が、岡本太郎を紹介して、内容に注文は付けないという条件で引き受けさせた、という事だそうです(記憶がかなり曖昧)。

 

岡本太郎は当時、フランスから帰ってきて何年か経っており、日本の伝統や源流にものすごい興味を抱いていました。万博で、1億総日本人が未来を向いている時に、岡本太郎ただ一人は過去を、それも日本の遥か原初を見つめていました。

 

なので、出来上がった『太陽の塔』は、殆どの人にとって意味も不明なら目的も不明という、とてもじゃないがどこが万博の『シンボル』なのかさっぱり判らん、という代物でした。第一、名前すらが決まっていなくて、『太陽の塔』も誰かがその場の思いつきで付けた、いい加減なものだったようです。よくこんな物に、巨額の税金使って文句が出なかったなと思います。

 

しかし、53年後万博の構造物で残っているのは、意味も不明なら目的も不明という『太陽の塔』ただ一つです。


想像ですけれど、誰か特定の人がこれを残そうと言った訳ではなくて、日本人の集合意識がそうさせたのではないかと感じるのです。

 

当時、岡本太郎縄文土器に熱い視線を向けていました。そういう意味でもう一度『太陽の塔』を見ると、巨大な「縄文土偶」のように思えて来ます。意識はしなくとも、10万年以上も続いた縄文時代が、日本の風土や美意識を決定づけているのは間違いないと思います。梅原猛氏などもそう考察しています。そのDNAが、太陽の塔を見ていると私の血の中で蘇るような気がするのです。

 

大阪万国博覧会 2025

そして2025年、再び大阪の地で万博が開催されます。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」だそうです。

 

目線を未来に向けるのは、万博のあり方として自然なことだとは思います。が、大阪万博1970に岡本太郎と彼の『太陽の塔』が存在したように、2025年にも未来を見るのと同じ分だけ日本の源流を掘り起こす目があってほしいと思います。

 

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